英語ができるとどうなる?(オーストラリア編)

australia

「オーストラリアにようこそ!」

、、、とは言われていないが、ついにやってきたのだ。

小さい頃から海外に憧れていた。

初めての海外、緊張と期待でいっぱいだ。

思えばここ3~4か月の間にいろいろなことがあった。

4か月前。「そんな馬鹿な!」そこには不採用の文字が。。。

ボクは愕然としていた。

コネで大手に入社して、そこからレールは敷かれると思っていた。

そこに突然不採用の知らせ。30分は何も考えられなかった。

しかしどんなことが起ころうともそこに意味を与えるのは自分だ。

世界は個人個人で作られている。そこに直感が頭にひらめく。

「そうだ海外に行こう!」

大学で外国語を専攻しているのに一度も海外に行ったことがなかった俺は海外に行くことに決めた。

行くならオーストラリアだ。理由は特にない。

迷ったらいつでも直観を信じるのだ。迷っても仕方がない。

選択したことが常に最善の選択なのだ。

勝手がよくわからなかったので代理店に相談してワーキングホリデーを使用して行くことにした。

パスポート、航空券、ビザの準備などであっという間に数か月が過ぎたが、4か月後にはオーストラリアに到着していた。

最初の一か月はホームステイをした。

オーストラリアの文化を知るためには直接一緒に住むのが一番だろう。

スポーツが大好きな家族だった。

毎日仕事後ラグビー、ソフトボール、サッカー、野球のどれかをやっていた。

土日も朝から夕方までスポーツの試合だった。

家にいるときはスポーツ観戦だった。

オーストラリアは歴史が浅くスポーツが彼らの文化なのだ。

語学学校では日本人を始めアジア人、ヨーロッパ人などとオーストラリア人以外と友達になることができた。

ボクは特に目的もなくみんなに連れられていろんなところに行った。

基本的に海外に来ることが目的だったのでそれで目的は達成してしまっていた。

せっかくオーストラリアに来たのだから何かしようと思い、ホームステイを終わらせて、シェアハウスに住むことにした。

一緒に住むのは年金暮らしのイギリス出身の男性だった。

彼はフランクと言った。穏やかで物静かな人だ。

フランクはボクのことを気に入ってくれたらしく、毎晩物静かに1時間以上何かについて語ってくれた。

人生経験豊富なフランクから聞いた話は今後のボクの人生にも役に立つことばかりだった。

年は離れているがフランクとは親友みたいな感じだ。

ショッピングセンターとかいろんなところにも連れて行ってもらった。

フランクもボクと一緒に遊ぶことで久しぶりに元気になったと言ってくれていた。

そんなこんなで数か月が過ぎた時、代理店を訪れると、「ファームステイ」の文字が飛び込んできた。

直感で行動するボクはすぐに準備を開始し、2週間後にはファームステイの地を訪れていた。

地方に向かう途中の電車では5時間くらいかかった。

その途中の電車の中でフランクの寂しそうな顔を思い出すとつらかったが、何とか承諾してくれた。

電車から降りると、そこは都会とは違い静かな田舎のザ・オーストリアと言う感じだった。

そこにファームステイのオーナーであるケンがカウボーイみたいな帽子をかぶって現れた。

ケンの農場はとても広く、車を使って羊を移動させたりしていた。

羊を刈るバリカンみたいな機械は「shear」と呼ばれ、ボクの聞き間違えじゃなければ50万円くらいすると言っていた。

ケンの農場では2週間ほど過ごし、次の農場に移動することにした。

内地のブロークンヒルと呼ばれる町のユースホステルに泊まったのだが、そこでオーストラリア人と一緒の部屋に泊まった。

彼はベンという名前だ。

気さくで明るく、ボクのことを気に入ってくれたらしく、一緒に周らないかと誘ってくれた。

直感で動くボクはすぐに承諾した。

ベンはメルボルン出身で車でオーストラリアを周ってるらしい。

通常オーストラリア人は海外に旅に出かけ、

オーストリアを周るのは外国人だけど、自分は逆なのだと言っていた。

確かにこれからの旅で出会うのはヨーロッパからくる人たちが多かった。

バックパッカーズホテルではこうやっていろんな人と友達になれるのが素晴らしい。

その時からベンとボクを含めた5人から6人のグループで行動した。

英語はノンネイティブだがヨーロッパの人たちは積極的によく話す

そんな中、ボクはほぼ聞き役になっていた。

このころからもっと英語が話せるようになりたいと思っていた。

そんな旅が約4か月ほど続いた。

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4か月間日本人が全くいない英語だけの環境でボクの英語は俺の英語は少しは上達したのだろうか。

一つ気づいたことで、英語が話せたとしても、話す内容がなければ会話が続かないのだ。

英語が話せるようになっても、ネイティブスピーカーからすればそれで初めて同じ土台に立てるわけだし、英語が話せるようになる意味って何なんだ。

そんな自問自答の日々が続いた。

そんなボクが出した答えは、「英語はただの道具だ」。

実際英語は世界で話されているから英語が使えるようになると世界は広がる。

絶対に英語は話せるようになった方がいい。

しかし日本人は英語が苦手な人が多い。

オーストラリアでいろんな国の人たちと知り合いになった。

そして感じたのはどこの国の人も基本的には同じなのだと思った。

ただ英語が話すことができないと自分と言うものを発信できないから、

英語が話せる人たちをあこがれの目で見てしまうのである。

自国では高い能力を持っているはずなのにそれを発信できないから、

できない人みたいに扱われる。

そんな日本人を何人も見てきた。本当にもったいないと感じた。

英語が得意な日本人も見てきたが、中には英語だけにとらわれ、

英語が話せる人=できる人みたいな感じになってる人も見てきた。

これは「英語は単なる道具である」という本来の目的を忘れてしまっているのだと思う。

ボクは帰国後も考え続け、もっと英語を楽しく楽に勉強できないかどうか考え続けた。

いろいろな方法を試し、その過程で英検1級、通訳案内士(英語)TOEIC900以上を達成することができた。

ボクの英語勉強方法などをいろんな人と共有して、少しでも助けになればいいと思い、このブログを書いていきたい。

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